近現代

NHK わたしの自叙伝 19.[芸能・スポーツ他2]森繁久彌/芦田伸介

NHK わたしの自叙伝 19.[芸能・スポーツ他2]森繁久彌/芦田伸介

森繁久彌(もりしげ・ひさや)1913(大正2)~2009(平成21) 俳優 大阪府出身
「放浪の青春」~出生から中学入学の頃のこと。早大入学後、芝居・演技への興味を持ち軍事教練が嫌で退学。NHKアナウンサーとして満洲、蒙古へ。戦後、第二の人生で困難に遭遇。失敗とか敗北とかいうものが人間を作る。

芦田伸介(あしだ・しんすけ)1917(大正6)~1999(平成11) 俳優 島根県出身
「大陸彷徨記」~チェーホフ劇に衝撃を受け演劇を志す。満洲での森繁久彌との出会い。ソ連侵攻、玉音放送。妻子を伴い新京から奉天へ脱出、病院船での引揚げ。中国の大地を北斗七星を頼りに徒歩で逃げた壮絶な脱出記。

NHK わたしの自叙伝 20.[芸能・スポーツ他3]長谷川一夫/田中千代

NHK わたしの自叙伝 20.[芸能・スポーツ他3]長谷川一夫/田中千代

長谷川一夫(はせがわ・かずお)1908(明治41)~1984(昭和59) 俳優 京都府出身 林長二郎
「ベルばら演出のころ」~宝塚というイメージを意識した「ベルサイユのばら」演出。ラブシーン、男装の麗人を演じさせるテクニック、演技者方法というスタンスの大切さについて。他の演出家がやらなかったことが年頃の女性にウケた。

田中千代(たなか・ちよ)1906(明治39)~1999(平成11) 服飾家・教育者 東京都出身
「わが留学記」~夫・田中薫の留学に同行して渡欧。バウハウス系の教授ハスハイエと出会い、葉っぱのデッサンからファッションの本質を学ぶ。ニューヨークで猛勉強し帰国後、デザインと洋裁の独習書を出版、田中千代学園を創設。

NHK わたしの自叙伝 21.[政治2]福本和夫/太田薫

NHK わたしの自叙伝 21.[政治2]福本和夫/太田薫

福本和夫(ふくもと・かずお)1894(明治27)~1983(昭和58) 評論家 鳥取県出身 日本共産党
「獄窓十余年」~3.15の大検挙では免れたが1928年、大阪で逮捕され14年間入獄。獄中、言海、広辞林、百科事典、クラウゼヴィッツ戦争論を耽読。「日本ルネッサンス論」を構想。零下14,5度の刑務所。

太田薫(おおた・かおる)1912(明治45)~1998(平成10) 労働運動家 岡山県出身 総評議長
「三池闘争のころ」~戦後、宇部興産で労組の委員長に。ストライキを何遍も経験したが、本当に資本家は強いということを知っている。三井闘争はまるで内乱のようだったが、離職者法はその成果だった。

NHK わたしの自叙伝 22.[社会・実業4]永野重雄/水上達三

NHK わたしの自叙伝 22.[社会・実業4]永野重雄/水上達三

永野重雄(ながの・しげお)1900(明治33)~1984(昭和59) 実業家 島根県出身 日本商工会議所会頭 新日本製鉄
「母の愛情に負けた腕白少年」~息子9人を残して父が他界、それでも母は辛い時でも陰気な顔すらせず、苦労した姿を全然見せなかった。それが友人知己と愉快に暮らせる習性を作ってくれた。

水上達三(みずかみ・たつぞう)1903(明治36)~1989(平成元) 実業家 山梨県出身 三井物産 日本貿易会
「貿易・戦中戦後」~戦争中、外地で軍に協力する難しい立場、石油依存には限界があるのでアルコール工場を作れとの指令。戦後、三井物産解体時、過酷な条件下で100人以内の会社を多く設立した。

NHK わたしの自叙伝 23.[社会・実業5]瀬川美能留/吉野俊彦

NHK わたしの自叙伝 23.[社会・実業5]瀬川美能留/吉野俊彦

瀬川美能留(せがわ・みのる)1906(明治39)~1991(平成3) 実業家 奈良県出身 野村證券
「父の死」~父を病院に担ぎ込んだが手遅れだった。恩師の後押しで学業を継続、以後仕事に情熱と時間を傾注した。戦後の財閥解体で処理、5年間に売りさばかれた株で800万人の株主層を作った。

吉野俊彦(よしの・としひこ)1915(大正4)~2005(平成17) 経済評論家 千葉県出身 日本銀行 山一証券経済研究所
「森鴎外を友として」~鴎外の生涯に惹かれたきっかけは、軍医でありながら膨大な作品を残した裏に、トラブルがあったに違いないという勘。サラリーマンの哀歓という角度から栄光と挫折を追った。

NHK わたしの自叙伝 24.[社会・実業6]高柳健次郎/井深大

NHK わたしの自叙伝 24.[社会・実業6]高柳健次郎/井深大

高柳健次郎(たかやなぎ・けんじろう)
1899(明治32)~1990(平成2) 技術者 静岡県出身 テレビの父 日本ビクター
「テレビ事始め」~カタカナの「イ」が映るようにできたのは大正15年12月。10年、20年先に必要なものをコツコツと勉強していけば、いずれ世の中が必要だという時に、役に立つようにできるものだ。

井深大(いぶか・まさる)
1908(明治41)~1997(平成9) 技術者・実業家 栃木県出身 ソニー
「トランジスターラジオ誕生のころ」~終戦後「東京通信研究所」設立、テープレコーダーとトランジスタラジオに焦点。人のやらないこと、いままで存在しないものを打ち出していく際に、従来のマーケティングは役立たない。

NHK わたしの自叙伝 25.[社会・実業7]黒沢酉蔵/山内みな

NHK わたしの自叙伝 25.[社会・実業7]黒沢酉蔵/山内みな

黒沢酉蔵(くろさわ・とりぞう)1885(明治18)~1982(昭和57) 実業家 茨城県出身 田中正造秘書 雪印乳業
「田中正造との出会い」~正造の天皇直訴報道で、大学生に混じって渡良瀬川の鉱毒現場に行った。銅は掘り尽くせば終わるが土地はある限り汚染され続ける。こんな馬鹿げたことはない。

山内みな(やまのうち・みな)1900(明治33)~1990(平成2) 社会運動家 宮城県出身 友愛会 原水禁
「東京モスリン会社争議のころ」~紡績工場へ就職したが12時間労働。初めてのストライキは1日だけで終了、争議団に代わり友愛会が交渉に。経営側は首謀者20人に退職金をたっぷり支払い、会社を辞めさせた。

NHK わたしの自叙伝 26.[学問・研究6]丹下健三/福山敏男

NHK わたしの自叙伝 26.[学問・研究6]丹下健三/福山敏男

丹下健三(たんげ・けんぞう)1913(大正2)~2005(平成17) 建築家 大阪府出身 広島平和記念公園
「建築・道・ひろば・都市」~伝統を現代の建築技術の中にどう活かすか。建築が都市に並ぶ場合、文章でいえば文法が必要。木にたとえれば、幹とか枝をきちっと与えれば色々な形の花が咲いても全体の調和が保たれる。

福山敏男(ふくやま・としお)
1905(明治38)~1995(平成7) 建築史家 福岡県出身
「「古代建築史」修行五十年」~小泉八雲のことばに感銘受け、内務省造神宮使庁に。法隆寺の五重塔の落書きは、子どもたちの手習歌「難波津に咲くやこの花云々」とひらめいた。いつも新鮮な感覚を保つ。

NHK わたしの自叙伝 27.[学問・研究7]島秀雄/茅誠司

NHK わたしの自叙伝 27.[学問・研究7]島秀雄/茅誠司

島秀雄(しま・ひでお)1901(明治34)~1998(平成10) 鉄道技術者 大阪府出身 東海道新幹線
「D51誕生の頃」~鉄道省に就職し大宮工場へ。C53の設計に参画、そしてD51で機関車の形と思想を確立したと思っている。「消えゆく」蒸気機関車はいいが、「滅びゆく」という形容詞は使いたくない。

茅誠司(かや・せいじ)1898(明治31)~1988(昭和63) 物理学者 神奈川県出身 東京大学総長
「南極観測のころ」~日本学術会議について思い出深く残っていることは、原子力問題、中国招待、そして南極観測。昭和32年1月25日オングル島に上陸、船は宗谷。乗り越えられない困難はなかった。

NHK わたしの自叙伝 28.[学問・研究8]早石修/河村郁

NHK わたしの自叙伝 28.[学問・研究8]早石修/河村郁

早石修(はやいし・おさむ)
1920(大正9)~2015(平成27) 医学者・細胞生物学 米国カリフォルニア州出身
「占領下の米国留学」~戦後の焼け跡の土から採取したバクテリアがのちの生化学研究に大きく寄与する酸素添加酵素の発見につながる。基礎研究と、開発途上国の研究者の受け入れを。研究はやってみないとわからない。

河村郁(かわむら・いく)1902(明治35)~1990(平成2) 看護学 長野県出身 看護協会
「結核根絶をめざして」~近江八幡のヴォーリズさんから看護婦教育とサナトリウムの管理を依頼された。結核予防を社会的な運動へ。日本結核予防協会診療センター、結核療養所晴嵐荘ができた。また訪問看護を始めた。