明治のルイス・キャロル B
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明治のルイス・キャロルB


丸山英観と『愛ちやんの夢物語』  川戸道昭
  (『翻訳と歴史』第4号、2001年1月刊、より)

 明治期の『不思議の国のアリス』の翻訳は、現在わたしが掴んでいるものだけだけでも合計五点存在する。その中で
最も注目されるのは、明治43年2月に内外出版協会から出版された『愛ちやんの夢物語』と題する翻訳書である。同作
品の訳としては前回紹介した永代静雄の翻案に次いで二番目に古いものだが、永代のそれのように原作の一部を抜
粋して読み切りの短編物語風に仕立てた翻案作品ではなくて、原作のすべてを省略せずに訳出している点で、これが
事実上の本邦初訳であったと考えてさしつかえないものである。全篇209頁からなる本書には原作中にみられるジョン・
テニエルのさし絵がところどころに挿入されていたり、その訳題がいかにも時代を思わせる面白い訳題であったりする
ことから、一部のキャロル文学ファンの注目を引いて、NHKの娯楽番組などで取り上げられたこともあった。訳者は、
早稲田大学の英文科を卒業し、のちに日蓮宗の寺の住職となった丸山英観という人物。そんな異色の翻訳者の手に
なる本邦最初の『不思議の国のアリス』とは、一体いかなる種類の翻訳であったのか。さいわい、この翻訳は原作の1
章から12章までを省略せずにすべて訳出している全訳であるところから、内容を一つ一つ原書と比較照合しながらそ
の長短を論ずることができる。それがはたしてどこまで原作者の意図に忠実な訳文となっているのか、現在の翻訳との
比較もまじえながら、その特色について考えてみることにする。
 そこでまずは丸山の翻訳者としての力量をはかるために、作中最も興味深い言語の技法がちりばめられている第三
章を例にとってその翻訳ぶりを点検してみることにしよう。「コーカス・レースと長いお話」という題を有するこの章は、よ
く知られるように、同音異義語や同一多義語を駆使した言葉あそびが頻発する。たとえば、ここで最も重要な意味をも
つと思われる単語をあげると、「dry」という語と、「tale」と「tail」、「not」と「knot」という同音異義語である。これらの言葉
を、作中人物がそれぞれの解釈にしたがって独自の使い方をしていくところに、思いがけぬストーリーの展開がはから
れ、キャロル文学特有の不条理な状況が引き起こされていくというのが本章の興味の中心である。丸山は、そうした言
葉がきっかけとなって互いの心に引き起こされる心理効果にどこまでついていくことができたのか。その翻訳の状況を
よりきめ細かく検証することができるように、ここでは上にあげた一つの多義語と二組の同音異義語を使った話の展開
を、それぞれ解釈の難易順に三段階にわけて、丸山の翻訳ぶりを考察してみることにする。
 まずはその中でも最も単純な「dry」という語の点検からはじめよう。丸山はこの「dry」という語にどのような訳語を当て
ているのか。話は、例の、第二章の終わりでアリスが流した涙の池に落ちてびしょぬれになったアリスやドードー、ネズ
ミらの一行が、まず体を乾かそうということになって、その方法について考える場面である。一行の中でも一目おかれて
いるネズミが口を開いていうには、「わたしがみなさんをすぐに乾かしてあげますぞ(I'll soon make you dry enough!)」、
「よろしいかな、これがわたしの知る最も乾いたものです(Are you all ready? This is the driest thing I know.)」と前置き
した上で、長々しいウイリアム征服王時代の話をはじめる。体を乾かす話がいきなりウイリアム征服王時代の退屈な史
談に変わったので、読者は煙に捲かれたような気持ちになるが、よくネズミの言葉を調べてみると、彼の使った「dry」の
語には洗濯物などが「乾く」という意味と、話の中身が「無味乾燥な」という二つの意味が存在することに気がつく。ネズ
ミはみんなを「乾かす(make you dry)」ために、「最も無味乾燥な(the driest)」話しをはじめたというわけだ。そうと解って
みればなるほどそういうことかと、そのナンセンスぶりに合点がいく次第である。丸山はこの第一関門をどのように切り
抜けているのか、そこで彼の訳文を点検するとこんなふうになっている。「坐り給へ諸君、まァ聞き給へ、僕が直きにそ
れの乾くやうにして見せる!」「諸君宜しいか?最も乾燥無味なものは是です、まァ聞き給へ、諸君!『ウイリアム第一
世、其人の立法は羅馬法皇の御心にかなひ、忽ちにして首領の必要ありし英人の従ふ所となり……』」。
 一つの言葉の中に二重の意味を込め、それを作中人物に独自の使い方をさせることによって常識とはかけ離れた不
合理な状況を創り出していく。それがキャロル文学にみられる言葉あそびの特徴の一つだとすれば、丸山のこの訳文
からもそうした作者の意図は十分に伝わってくる。まずは第一関門突破とみていいだろう。
  それに対して、第二、第三の関門はこれほど容易なものではない。今度は、先にも述べたとおり同音を有する異なる
二語を、会話を行っている二人の人物が、それぞれ別の語と受けとめることによってナンセンスな状況を創り出してい
こうとする試みである。その試みを具体例に即して説明するとこういうことだ。ネズミのいう方法では少しも体が乾かな
いことがわかった一行は、ドードーの提案を容れて「コーカス・レース」を行い体を乾かしたのち、ネズミに向かってもっ
と話をしてくれと頼む。アリスも「あなたは自分の身の上話(history)をしてくれる約束だったでしょう」とネズミをせき立て
るが、問題の同音異義語をめぐるちぐはぐな状況はそれに続く話の中にでてくる。
その話の流れを原文のキーワード中心にたどってみるとこういうことになる。まず、ネズミはアリスの催促を受けて、自
分のは「長い哀れな身の上話(a long and sad tale)」だと言う。アリスはそこで使われた「長い身の上話 (a long tale)」を
「長い尻尾 (a long tail)」と取り間違えたために、「哀れな(sad)」という語がどうしても「尻尾(tail)」と結びつかない。あま
りにそのことに頭を患わせていたために、しまいには、傍らで話すネズミの話がネズミの尻尾のようなかたちをとって彼
女の脳裏に現れてくる。これが本篇中最も有名な場面の一つで、実際にアリスの脳裏に浮かんだネズミの話が、大小
の活字を使ってネズミの尻尾のかたちに表現されるという意表をつく趣向がとられている。いわゆる「emblematic verse
(エンブレム詩)」と呼ばれる手法の一つで、古代ギリシャ以来さまざまな人によって試みられてきた技法だが、英文学
においてはこのキャロルの例が最もよく知られたものとなっている。
 このような大胆な言葉のあそびをともなう作品の流れに、はたして丸山はどこまでついていくことができたのか。さっそ
く『愛ちゃんの夢物語』の該当箇所を確認してみると、間違いなくそこにはネズミの話の内容が、大小の活字を使って蛇
行する尻尾のかたちに表現されている。西洋のエンブレム詩が日本で最初に写し取られた例として注目していいもの
だろう。それに対し、そこにいたるまでの会話の方はどうか。原作にみられる同音異義語に端を発する人物相互間の
意識の違いをきちんと把握した翻訳となっているのか。以下にそのさわりの部分を抜粋してみることにする。

《『お前身の上話をする約束ではなくッて』と云つて愛ちやんは、『何故嫌ひなのサ――ネとイが』と後から囁くやうに云
ひました、又鼠が怒りはしないかと気遣はしげに。
『私のは長くて其上可哀相なの』と云つて、鼠は愛ちやんの方へ振向き長太息を吐きました。
『長いの、さう』と云つて愛ちやんは、鼠の尾を不思議さうに眺めて、『でも、何故可哀相なの?』愛ちやんは鼠が話をし
てる間始終謎でも聞いてるやうな気がしました、それで愛ちやんの考へでは、其話といふのは何か斯麼風なものだらう
と思ひました。》〔これに続くネズミの尻尾型の文章は、上に示すとおり(図版省略)〕

  この訳には肝心なところで二つ大きな難点がある。その第一は、「愛ちやん」の「身の上話」の催促を受けてネズミが
「私のは長くて其上可哀相なの」と応じたところまではいいが、そのネズミの言葉と、それを聞いて「愛ちやん」が問いか
ける「長いの、さう」「でも、何故可哀相なの?」という言葉の間の脈絡がとぎれてしまっていることである。先述したとお
り「愛ちやん」が「身の上話(tale)」を「尻尾(tail)」と思いこんでしまったために起こってきたボタンのかけ違いを、その
同音異義語に対する翻訳上の配慮がまったく欠けているために、読者には「愛ちやん」がなぜ尻尾が「可哀相なの?」
と不思議に思う理由がはっきりしないのである。さらに、それに続く場面も、「愛ちやん」がネズミの話を聞いている間じ
ゅう「どうして尻尾が哀れなのかということに頭を悩ませていた」という文章を、ネズミの尻尾とは切り離して「始終謎でも
聞いてるやうな気がし」たと誤訳しているために、アリスの意識の中でネズミの話がその尻尾のかたちを取って現れてく
る理由が読者にはわからないのである。これでは、ネズミとアリスの胸中に流れるそれぞれ一貫した意識の流れや、そ
の両者を総合してみたときのちぐはぐな状況は一向に浮かび上がってこない。つまりキャロルの仕組んだ同音異義語
に端を発するナンセンスな面白味はまったく読者には理解できないということになる。
 現在の翻訳者ならば、たとえば、原文の同音異義語に「身の上話(テール)」「尻尾(テール)」とルビを振ったり(多田
幸蔵訳、旺文社英文学習ライブラリー)、「長い悲しいお話」「長い尾生(おは)やし」というような適当な語呂合わせを考
えたりして(矢川澄子訳、新潮文庫)、うまくその辺を切り抜けるところだろうが、丸山にはそのような技法も、あるいは
原作者の意図を尊重する姿勢も、いまだ十分に備わっていなかったというのが実状であろう。
  以上がわたしのいう第二関門であるが、真の難関はその先にある。このあとネズミはアリスが自分の話に一向に耳を
傾けていないことに気づき、君はちっとも聞いていないねと彼女をなじる。アリスはとっさに、頭の中にネズミの尻尾の
かたちをとって現れている彼の話を思い浮かべて、いま「その五番目の曲がりのところまで来たんでしたね(you had 
got to the fifth bend, I think? )」と答えるが、ネズミは何のことやら分からず「いや違う!(I had not!)」と語気をあらげて
反論する。その答えの中の「not」という語を「knot(結び目〔筋のもつれや難問の意味を含む〕)」と取り違えたアリスは、
「結び目!」「それなら、ぜひわたしにほどくのを手伝わせて下さい」とネズミの心を気づかって声をかけるが、ネズミの
ほうは腹を立ててその場を立ち去ってしまい、アリスもなにがなんだかさっぱり解らないまま彼の後ろ姿を見送るという
のが一連の経過である。
 わたしのいう第三関門は、この「not」と「knot」という同音異義語をどう日本語に訳出するかという問題である。これら
の二つの語を一方は「not」と認識し、もう一方は「knot」と受けとめた。そこに到達する前後の両者の思考の違いをきち
んと辿ることができるようにした上で、その奇妙に容れあわない二人の思考の流れを総合してみたときに明らかになっ
てくるナンセンスな状況をきちんと日本語に翻訳していくことができるかどうか、それが最後の大きな関門であるが、こ
こに至ると丸山の翻訳はおろか、その後の翻訳でも、なかなかこれで完全という域に達しているものは少ないように思
われる。そこには、キャロルの作品のように、ある言語に固有に備わる統語法や響きを巧みに利用して成り立っている
文学作品を訳出することの難しさが集約されている。しかし、過去90年間にわたる本作品の翻訳の蓄積のなかには、
この難問を、単なる表面上の言葉の意味だけではなく背後の思考の流れにも十分注意を向けてうまく訳出している例
もないわけではない。たとえば、その一例を挙げると、高橋康也・迪氏の共訳(新書館、一九八五年)になるこんな翻訳
である。

《「ちゃんと聞いていないじゃないか!」ハツカネズミはアリスにきびしくいいました。「なにを考えているんだ?」
「ごめんなさい」アリスはすなおにあやまりました。「五つめのまがり角にきたところじゃなかったかしら?」
「きてないさ!(I had not!)」ハツカネズミは怒って叫びました。
「きたないですって!(A knot!)」いつでも人の役に立ちたくってうずうずしているアリスは、熱心にあたりを見まわしなが
ら叫びました。「どうぞわたしにきれいにするお手伝いをさせて!」
「そんなこと、だれにさせるもんか!」ハツカネズミは立ちあがって、あちらへいきかけました。「あんたという人は、そん
なくだらないことばかりいってわしを侮辱するんだ!」》

 この会話における最大のポイントは、まったく容れあうことのないネズミの視点とアリスの視点が一つに同居している
点にある。ネズミはネズミで終始一貫したことを話しているし、アリスはアリスで同じように十分に脈絡のある受けとめ方
をしている。アリスとネズミのどちらか一方の視点に偏していたのではみえてこないちぐはぐな状況が、それを総合する
第三の視点、すなわち読者の視点に立つことによってはじめてみえてくる。そこにこの会話の最大のポイントがある。し
たがって、それを翻訳する上で最も肝要な点は、両者あい容れることのないアリスとネズミの視点を、それぞれかみ合
わぬままに一貫性を保ったものとして訳出していくことである。上に掲げた翻訳は、問題の「not」と「knot」の部分だけを
取り上げてみると、「きてない」「きたない」というように多少原義とは離れる感じもしなくはないが、それぞれ独自の流れ
で進行している両者の思考経過に中断はみられないし、アリスがここでネズミの言った「きてない」を「きたない」と取り
間違えたことをきっかけに双方の意識のずれが決定的になっていく状況もよく伝わってくる翻訳となっている。単語の意
味だけを問題にするならば、この「not」と「knot」の部分を、「五回なもんか!」「あら、どこでこんぐらがっちゃったの」と
訳している矢川澄子氏の訳のほうがより原義に近いように思われなくもないが、矢川氏の訳では、アリスとネズミの心
の内がこれらの語をきっかけに離反していく様子がみえてこないばかりか、反対にその言葉のやりとりを通して両者の
視点の同一化がはかられるという結果になってしまっている。これでは原作に備わる不条理な状況はよく伝わってこな
いということになる。その核をなす「not」と「knot」という同音異義語の取り扱い方に関しても、それに「きてない」「きたな
い」の類似の音を有する言葉を当てた高橋氏の訳のほうがより原作者の意図に配慮した翻訳ということができるだろ
う。
  このように現在の翻訳者にとってもなかなか一筋縄ではいかないキャロルの言葉あそびに丸山はどこまで意識的に
ついていくことができたのか。ここに取り上げた「not」と「knot」の翻訳の仕方をみればそれは一目瞭然である。その部
分に対する丸山の翻訳は、「『貴方はこれで五度お辞儀をしましたね?』/『しない!』と鼠は怒つて叫びました。/『皆
さん!』と云つて愛ちやんは、尚ほ続けやうとして気遣はしげに身の周りを見回し、『さア、これで解散しようぢやありま
せんか!』」というように、ほとんど翻訳の体をなさないといっていいほどの混乱ぶりを示している。
 丸山が原作者の意図を十分につかみ切れていなかったことは、本書の巻頭におかれた「はしがき」の内容をみても
推測が可能である。全文八行からなるその「はしがき」の文章はこんな言葉で結ばれている。「姉さんの膝を枕に仮寝
に結んだ愛ちゃんの夢、解いてほどけば美しい花の数々、色鮮かにうるはしきを摘みなして、この一篇のお伽噺は出
来あがつたのです」と。彼がこの作品を単なるお伽噺の延長線上にしか考えていなかった一つの証拠とみることができ
るだろう。結局、丸山の翻訳というのは、一部ネズミの尻尾型に訳文を並べる等、それまでにない画期的な試みもみら
れなくはないが、原作者の言葉の使い方に対する十分な理解が欠けていたために、あるいは基本となる英文の解釈に
注意力が散漫なところ(すなわち誤訳)がみられることから、原作の面白味を十分に伝えきれない中途半端な翻訳に終
わったということになるのではないだろうか。
 そうはいうものの、日本の『不思議の国のアリス』全訳の試みはこの『愛ちやんの夢物語』をもってはじまったという事
実は否定しがたいものであり、われわれはその先駆的な試みに対し十分敬意を払う必要がある。丸山は前にも触れた
ように、早稲田大学の英文科の出身(明治41年卒業)で、同じクラスに若山牧水、土岐哀果、佐藤緑葉、安成貞雄、三
沢豊、沖田勝之助、藤田進一郎らがいた。これらの面々は在学中に北斗会と称する会を結んで回覧雑誌を発行したこ
とで知られるが、丸山がそうした文学運動にどこまで関心を寄せていたかは不明である。丸山の経歴に関しては、早稲
田大学の校友会名簿(大正2年11月調べ)に「豊多摩郡淀橋町柏木常円寺」と住所がしるされ、職業が「商業」、本籍が
「神奈川」となっていること以外、わたしには詳しいことは掴めないでいたが、先年、国立図書館に30年間勤務されて同
館所蔵の児童書をくまなく調査された経験をもつ石川春江氏の『国立国会図書館の児童書』(創林社、1980年)という
書物の中に「日本における『不思議の国のアリス』の初期翻訳」と題する一文があり、そこに丸山の経歴に関する次の
ような貴重な報告があることがわかったので、以下に紹介しておく。

《この『愛ちゃんの夢物語』はNHKの「ホントにホント」に国会図書館の所蔵本として紹介されたということで、訳者丸山
英観氏の娘さんから図書館あてに手紙をいただいた。/それによると、丸山英観は明治18年1月18日横須賀に生ま
れ、東京芝日本榎にあった檀林(寺の子弟を養成する機関)で学んだ後、麻布中学に進み、四修で早稲田の英文科に
入り明治41年卒業、一時黒岩涙香の「萬朝報」に勤め、すすめられるままにいろいろ翻訳をしたという。もともと寺の息
子であったため、山梨県立女学校の教師を経て横須賀堀の内の日蓮宗泉福寺の住職となり、昭和31年2月5日、72
歳でなくなったとのことである。》

  ここで一つ注目したいのは丸山の早稲田大学在学の時期である。丸山の早稲田卒業が明治41年であったということ
は、おそらく入学した年は明治37、8年であったと思われる。同級生の若山牧水を例に取ると、牧水が延岡中学を卒業
して早稲田の高等予科に入学したのは明治37年の春で、翌38年夏に英文科本科に進んでいる。それから考えても、丸
山の入学も明治37、8年前後と考えてだいたい間違いないように思われる。なぜそれが問題かというと、前回紹介した
永代静雄の在籍の期間と重なるためである。永代は明治39年4月の「高等予科文科」入学(同年10月除籍)で、彼はそ
こで教授をしていた内ヶ崎作三郎から「キャロールといふ人の書いた『アリスの奇界探検』といふ本を拝借して読ん」だ
と証言している。永代が早稲田に入学したときは既に丸山も在籍していたとなると、丸山も同様に、内ヶ崎をとおして
『不思議の国のアリス』の原書を知ったという可能性は少なくない。この時代の西洋文学作品の翻訳や受容の問題を
考えるのに、大学をはじめとする高等教育機関における教育を無視することはできないが、丸山以前のキャロルの翻
訳者がいずれも早稲田大学の出身者であったということは、やはりその重要性を考慮に入れないわけにはいかないだ
ろう。われわれは、明治期の翻訳文学ということを考えるに当たって、もう一度当時の学校教育を経路とした西洋文学
の受容の流れを詳しく検証し直してみる必要がある。


〜「明治のルイス・キャロル C」へ続く〜




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