描かれた明治天皇


 本目録は、『偕行社記事』663号〜735号(昭和5年〜昭和10年)の口絵に掲載されたものである。
その原画(3m×2.5m)は、大正年間から昭和11年にかけて、
当時一線で活躍していた画家たちを動員して製作された。
その絵を、描かれた絵にゆかりのある人の遺族、財閥、官庁、自治体、銀行などが、
聖徳記念絵画館へ奉納し、現在も同館で常設展示されている。
美術的な完成度は見るものの判断に委ねるが、一枚一枚の絵に描き出されている
明治天皇の構図が、まことに興味深いものとなっている。
 絵画館には総数80点が展示されており、半数の40点(嘉永5年から明治11年までの事跡)を
日本画家が、残り40点(明治12年から大正元年までの事跡)を洋画家が担当している。
 『偕行社記事』口絵では、そのうち64点が取り上げられている。
取り上げられなかったのは、
大政奉還(邨田丹陵画)、
大阪行幸諸藩軍艦御覧(岡田三郎助画)、
農民収穫御覧(森村宜稲画)、
皇后冊立(菅楯彦画)、
神宮親謁(松岡映丘画)、
琉球藩設置(山田真山画)、
富岡製糸場行啓(新井寛方画)、
皇后宮田植御覧(近藤樵山画)、
女子師範学校行啓(矢沢弦月画)、
内国勧業博覧会行幸啓(結城素明画)、
初雁の御歌(鏑木清方画)、
華族女学校行啓(跡見泰画)、
憲法発布式(和田英作画)、
赤十字社総会行啓(湯浅一郎画)、
凱旋観艦式(東城証太郎画)、
東京帝国大学行幸(藤島武二画)の16点である。
主に皇后関係のものが多い。
 絵画館の絵に解説が付されているが、『偕行社記事』口絵の解説は
それとは少し趣を異にしているので、一部引用しておく。
掲載順序は、描かれた明治天皇の時代順とし、末尾の号数は『偕行社記事』掲載の号数を示す。



嘉永5年9月22日(新暦11月3日)〔中山邸、御産所〕
    御降誕(高橋秋華画)    684 号

万延元年閏3月16日(新暦5月6日)
    御深曽木(北野恒富画)    723 号

万延元年9月28日(新暦8月26日)〔陣座〕
    立親王宣下(下村観山・橋本永邦画)    716 号

慶応3年1月9日(新暦2月13日)〔清涼殿代小御所〕
    践祚(川崎小虎画)    699 号
〈当日午刻新帝昼御座(小御所中段)ニ出御、内侍二人剣璽ヲ奉ジテ夜御殿(小御所上段)ニ安ス。
関白二条斉敬簀子ニ候ス。即チ関白ヲ改メテ摂政ト為スベキ旨ヲ仰セ給フ。
次ニ摂政旨ヲ奉ジテ蔵人ヲ召シ、諸臣先朝ノ侭ニ奉仕スヘキコトヲ宣ス。
畢リテ入御、摂政以下弓揚代(小御所庭上)ニ於テ奏慶ノ事アリ。〉

慶応3年12月9日(新暦1月3日)〔小御所〕
    王政復古(島田墨仙画)    687 号

明治元年1月3日〜4日(新暦1月27日〜28日)
    伏見鳥羽戦(松林桂月画)    715 号

明治元年1月15日(新暦2月28日)〔紫宸殿〕
    御元服(伊藤紅雲画)    700 号

明治元年2月3日(新暦2月25日)〔東門前〕
    二条城太政官代行幸(小堀靹音画)    677 号

明治元年2月15日(新暦3月5日)〔建礼門前〕
    大総督熾仁親王京都進発(高取稚成画)    689 号

明治元年2月30日(新暦3月23日)〔紫宸殿〕
    各国公使召見(広島晃甫画)    722 号

明治元年3月14日(新暦4月6日)〔紫宸殿〕
    五箇条御誓文(乾南陽画)    681 号

明治元年3月14日(新暦4月6日)〔芝、田町薩摩邸〕
    江戸開城談判(結城素明画)    711 号

明治元年8月27日(新暦10月12日)〔紫宸殿〕
    即位礼(猪飼嘯谷画)    731 号

明治元年10月13日(新暦11月26日)〔二重橋〕
    東京御著輦(小堀靹音画)    730 号

明治4年7月14日(新暦8年29日)〔皇城大広間〕
    廃藩置県(小堀靹音画)    694 号

明治4年11月12日(新暦12月23日)〔横浜港〕
    岩倉大使欧米派遣(山口蓬春画)    728 号

明治4年11月17日(新暦12月28日)〔吹上御苑〕
    大嘗祭(前田青邨画)    710 号
〈大嘗祭ハ天皇即位ノ後、親シク新殻ヲ薦メテ皇祖天神ヲ祭リ給フ御一代一度ノ大祀ナリ。
明治元年即位ノ後、引続キ行ハセラルベキ儀ナリシモ、当時東北未ダ全ク綏撫セズ、
且諸国兇荒ノ為四年ニ至リ、始メテ御挙行ノ事ニ決セラレ、国郡卜定ノ儀アリテ悠紀ヲ甲斐国巨摩郡、
主基ヲ安房国長狭郡トシ、大嘗宮ヲ吹上御苑内ニ建設セラル。〉

明治5年6月14日(新暦7月19日)
    中国、西国巡幸長崎入港(山本森之助画)    704 号

明治5年6月22日(新暦7月27日)
    中国西国巡幸鹿児島著御(山内多門画)    705 号
〈此ノ行、天皇ニハ未ダ御結髪ナリシモ、初メテ洋服ヲ召サセラレ、
又陸上ハ輦輿ヲ用イサセラレズ、総ベテ御乗馬ナリキ。〉

明治5年9月12日(新暦10月14日)〔新橋駅〕
    京浜鉄道開業式行幸(小村大雲画)    733 号

明治6年4月29日
    習志野原演習行幸(小山栄達画)    668 号

明治7年〔吹上御苑〕
    御練兵(町田曲江画)    669 号

明治8年〔赤坂仮皇居御座所〕
    侍講進講(堂本印象画)    724 号

明治8年4月4日
    徳川邸行幸(木村武山画)    703 号
〈明治八年四月四日隅田河畔小梅村徳川昭武(旧水戸藩主)邸ヘ行幸、光圀、斉昭等遺書ヲ御覧アリ。
家族等ニ謁ヲ賜ヒ、父祖ノ功業ヲ嘉シ給フ旨ノ勅語アリ、乃チ還幸アラセラレタリ。〉

明治8年6月20日〔浅草本願寺書院〕
    地方官会議臨御(磯田長秋画)    727 号

明治9年7月7日〔盛岡八幡社内〕
    奥羽巡幸馬匹御覧(根上富治画)    729 号

明治10年2月11日
    畝傍陵親謁(吉田秋光画)    701 号
〈抑々山陵親謁ノコトハ古来其例稀ナリシガ、天皇ニ至リ、曩ニ天智天皇陵、孝明天皇陵ノ親謁アリ、
今又神武天皇陵ノ親謁アリ、是レ一ニ追遠ノ叡慮ニ出デタルモノナリ。〉

明治10年3月
    西南役熊本篭城(近藤樵仙画)    670 号

明治11年7月5日〔青山御所〕
    能楽御覧(木島桜谷画)    734 号
〈明治天皇御父帝ニ別レ給ヒシヨリ、一向御孝心ヲ英照皇太后宮ニ捧ゲ給ヘリ。
宮御東遷後ハ、其ノ好マセラルヽ侭ニ、能舞台ヲ青山御所内ニ新造セラレ、
明治11年7月5日舞台開アリ。是ノ日金剛唯一・観世鉄之丞・宝生九郎・梅若実等ヲ召シテ、
翁以下数番ノ能ヲ催サセラレ、皇后宮御同列ニテ御参殿、宮ト共ニ歓楽ヲ分セラレタリ。
爾来時々ノ御催シヲ、宮ニモ此ノ上ナク喜ビ思召サレタリ。
二十八年、宮崩御ノ後ハ同所ノ御催シナキノミナラズ、親王華冑ノ邸第ニ行幸アリテ、
偶々御覧アラセラレシ外、天皇ニハ絶エテ観能ノ御事ナカリキ。〉

明治12年8月10日〔浜離宮中島御茶屋〕
    グラント将軍ト御対話(大久保作次郎画)    707 号

明治14年9月1日〔山鼻村通御〕
    北海道御巡幸屯田兵御覧(高村真夫画)    667 号

明治14年9月21日〔秋田県院内〕
    山形、秋田巡幸鉱山御覧(五味清吉画)    709 号

明治14年10月〔赤坂仮皇居御座所〕
    兌換制度治定(松岡寿画)    697 号
〈明治四年廃藩置県後、各藩ノ紙幣ハ政府ノ負担ニ帰シ、
其整理ノ為ニ発行シタル不換紙幣ハ多大ノ額ニ上レリ。
其後偶々西南ノ役起リ、又巨額ノ不換紙幣ヲ増発シ、
其結果経済界ハ殆ド恐慌ノ状態ニ陥リタルヲ以テ、宸襟ヲ悩マシ給フコト大方ナラズ。
時ニ大蔵大輔松方正義ハ貨幣制度ノ根本ヨリ改メザルベカラザルヲ信ジ、
明治十四年十月、三条、岩倉両大臣ト共ニ御前ニ伏シテ、兌換制度ノ必要ヲ上奏ス。
即チ御裁可アリ。是ニ於テ政府ハ鋭意其準備ニ著手シ、翌十五年六月日本銀行設立トナリ、
十七年兌換銀行券ノ発行ヲ見ルニ至レリ。又三十年十月一日ヲ以テ金本位制ヲ実施セラレタリ。〉

明治15年1月4日
    軍人勅諭下賜(寺崎武男画)    665 号
    〔688 号別冊に彩色画を再録〕

明治15年4月5日〔外務省〕
    条約改正会議(上野広一画)    679 号

明治16年7月19日〔馬場先門内〕
    岩倉邸行幸(北蓮蔵画)    718 号
〈明治十六年夏右大臣岩倉具視病ミテ家ニ在リ、七月五日車駕親臨慰問アラセラレシガ、
越エテ十九日朝病革マレル旨聞食サレ、更ニ駕ヲ命ジテ儀衛未ダ備ハラザルニ既ニ宮門ヲ出デ給フ。
近衛士官纔カニ騎従ス。具視其ノ報ニ接シ流涕シテ曰ク、寵眷此ノ如シ何ノ日カ答ヘ奉ラント。
言畢ラザルニ鳳駕既ニ到リ褥室ニ入リ給フ。具視首ヲ擡ゲテ曰ク、
老臣病驅已ニ自由ヲ失フ敬礼ヲ欠クト。即チ合掌ス。
天皇親シク病状如何ト問ヒ給フヤ、唯 陛下ノ万歳ヲ祈ルノミト奉答シ、君臣相対シテ復他語ナカリキ。〉

明治20年5月9日〔芝公園〕
    東京慈恵医院行啓(満谷国四郎画)    692 号

明治21年6月18日〜12月17日〔赤坂仮皇居会食所〕
    枢密院憲法会議(五姓田芳柳画)    693 号

明治22年2月11日〔桜田門前〕
    憲法発布観兵式行幸啓(片多徳郎画)    673 号

明治23年1月18日〔鳳凰の間〕
    歌御会始(山下新太郎画)    676 号

明治23年2月31日〔尾張国雁宿山〕
    陸海軍大演習御統監(長原孝太郎画)    674 号
〔734 号に大演習当日の口絵写真あり、
また当日招待されたドイツ駐日武官の報告は48号に掲載されている〕

明治23年10月30日〔御座所廊下〕
    教育勅語下賜(安宅安五郎画)    685 号

明治23年11月29日〔貴族院〕
    帝国議会開院式臨御(小杉未醒画)    698 号

明治27年3月9日〔正殿〕
    大婚二十五年祝典(長谷川昇画)    714 号
〈皇后冊立以来満二十五年ヲ経タルヲ以テ、欧州ノ慣例ヲ斟酌アラセラレ、
明治二十七年三月九日大婚二十五年ノ祝典ヲ挙ゲララル。〉

明治27年9月15日〜28年4月27日
    広島大本営軍務新裁(南薫造画)    663 号

明治27年9月15日〜16日
    日清役平壌戦(金山平三画)    719 号

明治27年9月17日
    日清役黄海海戦(太田喜二郎画)    721 号
明治28年3月22日〜28日
    広島予備病院行啓(石井柏亭画)    672 号

明治28年4月17日〔春帆楼〕
    下関講話談判(永地秀太画)    690 号

明治28年6月11日〔台北城〕
    台湾鎮定(石川寅治画)    671 号

明治28年12月17日〔九段坂上〕
    靖国神社行幸(清水良雄画)    675 号

明治30年3月2日〔吹上御苑〕
    振天府(川村清雄画)    702 号

明治35年2月12日〔貴族院〕
    日英同盟(山本鼎画)    713 号

明治37年2月4日〔御座所〕
    対露宣戦御前会議(吉田苞画)    678 号

明治38年1月5日〔水師営の会見〕
    旅順開城(荒井陸男画)    664 号

明治38年3月15日 
    満州軍総司令部の奉天入城(鹿子木猛郎画)    666 号

明治38年5月27日
    日露役日本海海戦(中村不折画)    680 号

明治38年8月10日〜9月5日〔調印〕
    ポーツマス媾和談判(白瀧幾之助画)    695 号

明治39年4月30日〔青山練兵場〕 彩色
    凱旋観兵式(小林万吾画)    691 号
    〔726 号には当日の写真掲載〕

明治39年6月〜40年10月
    樺太国境画定(安田稔画)    717 号

明治42年11月19日〔赤坂離宮〕
    観菊会(中沢弘光画)    686 号
〈赤坂離宮ノ観菊会ハ明治十三年以降ノ事ニシテ、
浜離宮ノ観桜会ト相並ビテ殆ド毎年催サルルコトトナレリ。
初メハ皇族、文官高等官、有爵者及ビ外国公使等ヲ召サレタリシガ、
三十七年ヨリ重ナル実業家モ御召ニ預ルコトヽナレリ。
是レ一ニ君民共栄ノ叡慮ニ出デタルモノナリ。〉

明治43年8月22日〔京城南大門〕
    日韓合邦(辻永画)    683 号

明治45年7月19日〜30日〔二重橋外〕
    不豫(田辺至画)    682 号

大正元年9月14日〔伏見桃山〕
    大葬(和田三造画)    735 号




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