近代日本軍隊関係雑誌集成



近代日本軍隊関係雑誌集成 内容紹介

国家について、軍隊について、戦争について、
日本近代の出発から第二次世界大戦の終結まで陸海軍将校の言説により考察可能とした資料群


軍事情報新聞の登場
 1 内外兵事新聞  1〜444 号(明治9年〜明治17年)
 西周の「兵家徳行」「兵賦論」の発表紙として著名であるが、藩意識を持ったまま近代軍隊の形成に参与してきた指
導層に陸軍士官学校の卒業生が加わっていくことによって、単一の国家意識をもった軍隊が次第に成立していく過程
を伝える明治十年代の雑誌形式の新聞。貴重な史料でありながら今日全号を通覧することが不可能であり、マイクロ
フィルム版でも多くの欠号を残したまま収録する。

将校による学術雑誌の発生
 2 月曜会記事  1〜14号(明治21年1月〜明治22年2月)
 月曜会は近代軍隊形成に学術研究の必要性を痛感した陸軍士官学校第一期第二期生の少尉が明治14年に結成し
たもの。当初は長岡外史、田村怡与造ら十三名であったが、設立趣意書を全軍に配布し、会員の拡大とともに本旨を
発行し、研究・情報交換の場とした。しかし、軍紀上懸念されるところとなり、偕行社との合併を命ぜられる。本集成で
は明治21年から廃刊までを収録。

退役将校の政治活動
 3 保守新論  1〜18号(明治22年1月〜明治23年8月)
 鳥尾小弥太が結党した保守党中正派の機関紙。自由党と改進党を論敵と見なし、西欧化を批判し、キリスト教への
批判を展開していったが、第一回総選挙で大敗し姿を消していった。

憲法発布から北清事変前後
 4 偕行社記事  1〜280 号(明治21年7月〜明治34年12月)
 日本における近代国家形成は殖産興業と西欧の国家の存立に必須条件であった強力な軍隊を育成することにあっ
た。しかし、まだ明治国家が実体のないものであったゆえに、陸海軍は、自らの立脚する国家そのものの創出も分担
せざるをえない現実に直面する。すなわち、壮丁を介しての国民形成と、軍事研究に伴う土木、建築、通信、運輸、測
量、動力、医学、衛生、教育、経理、法制といった基礎諸学を独自の人材と情報網で獲得していく。このことが日本に
おける軍隊の社会的地位を高めていく要因となり、行政府から軍隊の統帥を独立させ、天皇の軍隊を創出する根拠を
統帥問題の外側から国民に説得する力となった。陸軍当局は将校がそうした研究と情報の交換を一体となって事にあ
たっていくうえで、月曜会を解散させる必要性を感じ、唯一の公的研究機関紙『偕行社記事』の創刊に赴く。そして、明
治期の『偕行社記事』はその要請に十分応えたゆえに、その研究と情報の指示する方向が日本近代国家の性格を大
きく左右していくこととなった。

日露戦争から第一次世界大戦
 5 偕行社記事  281 〜497 号(明治35年〜大正4年)
 6 偕行社記事臨時  1〜30号(明治37年〜明治39年)
 明治40年代に将校の関心は大きく転換する。日露戦争後の日本人のアイデンティティーの崩壊に対応しようとして、
将校の関心は国家形成から国民形成へと傾く。すなわち、軍隊教育と国民教育が論説の中心テーマとなって展開され
る。同時に、第一期から引き継がれる科学技術への関心は、産業の重工業化と連動し、技術将校は先端科学技術情
報の送り手の役割を担っていく。

第一次世界大戦から世界恐慌
 7 偕行社記事  498 〜663 号(大正5年〜昭和4年)
 8 偕行社記事臨時増刊  1〜98号(大正3年〜8年)
 大戦の勃発により西欧諸国の軍事研究に関する移入が中断し、『偕行社記事』の内容を一変させる。この期の特徴
は『臨時増刊』、別冊付録『海外情報』『海外事情』に見るように、戦中は戦況と国際動向、戦後は世界の動きの情報収
集に力を注いでいった。西欧の軍事研究の輸入の中断は、将校の論議を軍隊内の身近な問題および国内諸問題へと
向かわせた。そして、近代軍隊の維持が国民教育の制度化と一体であったという大戦の教訓に導かれて、軍隊教育、
国民教育、国民思想の研究へと進んでいく。『青少年訓練参考』が大正14年から昭和4年まで別冊付録として刊行され
ていったのも、その表われの一つであった。

満州事変から太平洋戦争
 9 偕行社記事  664 〜800 号(昭和5年〜昭和16年)
 10 偕行社記事特号  714 〜848 号(昭和9年〜20年5月)
 この期は十五年戦争の全期間をおおっているゆえ、当然戦時体制と関わる記事が紙面の中心となる。雑誌の性格
は昭和4年12月号「巻頭の辞」で鈴木荘六社長が「生硬を避け、以て一層親炙し易きもの」と述べたのを受け、誌面の
大衆化へと方向転換する。記事そのものの輝きで将校を牽引してきた明治期の『偕行社記事』と異なり、記念号・特集
号を頻発し、読者の注意を掻き立てようとする。一方、戦争の拡大は部外秘の事項をふやし『特号』の発行となり、昭
和16年からは『特号』が本誌の実質を担っていく。
 記念号は「日露戦役」と「満州事変」を毎年企画し、7年8年は毎月「満州事変」を特集する。ほかに特集テーマは、
「リットン報告書」「修養」「軍隊教育」「国体」「日本精神」「思想戦」「航空」「兵器」「機械化」「武道・体育」「ノハンモン事
件」「教育」「防空」「総決戦」などを取り上げる。

海外情報を海軍将校の知的共有物に
 11 海軍雑誌  1〜 110号 (明治16年10月〜明治22年10月) 
 当初、駐英海軍中佐黒岡帯刀や駐米大尉斉藤実らの報告する欧米の海軍関係情報を、海軍将校全体の知的共有
物とするため刊行し、次第に内容を豊かにしていった。本誌の中心的記事は、英仏独露墺伊米などの最新の科学技
術とそれを武力として担う海軍兵制である。科学技術の優劣が戦力を決定しつつあった時代に創設された帝国海軍を
語るに不可欠な雑誌である。

海軍将校の学術研究誌誕生
 12 水交雑誌  1〜37号 (明治20年3月〜明治23年5月)  
 『海軍雑誌』は海軍省の刊行した報告・翻訳誌であったが、本誌は水交社員による学術研究を目的として刊行された
雑誌である。そして、海軍力が精神や肉体の鍛錬から、海上兵法、航海術、運用術、砲術、水雷術、造船、軍医学、す
なわち軍事力が近代諸学とりわけ科学技術によって担われていくとの認識を深めていく雑誌である。

 13 水交社記事  1〜318 号 (明治23年6月〜昭和19年12月)
(a) 近代海軍の形成(明治期)
『水交雑誌』の継続誌。日本に近代海軍を形成していくうえで、本誌の果した役割は計り知れない。近代海軍は軍艦に
象徴されるように、先端科学技術の集約であり、かつそれを担う技術者集団によって存立している。本誌も海上兵法の
基礎たる最新の科学技術導入に全力を注ぐとともに、その運用を可能ならしめる制度と環境を、イギリスを軸とした西
欧軍隊に範を求め学習していく場となる。明治期海軍は光り輝く啓蒙思想に導かれて、それらの事業が開花していく時
代であった。対外的戦争においても自国の領土が戦場となることなく、また敗戦という不幸に見舞われなかったゆえ
に、科学技術とそれを担っていく集団は一層輝かしいものとして人々の目に映じた。
◆社告
〈海軍ニ関スル学術技芸ノ進歩ハ駸々乎トシテ底止スル所ヲ知ラス 近来実ニ驚クヘキノ結果ヲ呈シ瞬時モ其ノ研究ヲ
怱ニスヘカラサルハ論ヲ俟タサルナリ 是ニ於テ本社ハ右ノ目的ニ対シ毎月刊行スル処ノ記事ニ最モ注意ヲ加ヘ社員
諸氏ノ参考トナルヘキ事項ハ可成的多数ニ網羅シテ記載スヘク務ムレトモ如何セン社費ニ制限アルヲ以テ充分其見
込ヲ果ス能ハス 然リト雖トモ前記ノ如ク学芸進歩ノ今日ニ於テ毎月僅カニ一回ノ発兌ニテハ決シテ足レリトスヘカラス
 或ハ恐ル其進歩ニ後ルヽアランコトヲ 実ニ遺憾ナリト謂フヘシ 依テ自今ハ費用ヲ差繰リ時々号外及付録ヲ発刊ス
ル事ニ決定セリ〉
◆明治期の水交社記事抜萃
(明治20年代)英国軍艦コロサス号地中海沿岸巡航記事/比叡土耳其国航海/金剛土耳其国航海/筑波航海記事
/筑波遠洋航海糧食上記事/巖島回航員通信/千島回航員通信/比叡マリアナ諸島ニ於テ台風記事/高千穂ノ筑
波ヲ曳キ佐渡二見港ヨリ呉港ニ到リタル時ノ記事抜萃/金剛北米国回航記事/ビクトリヤ号沈没所感/吉野回航員
航海記事/清韓沿岸諸港巡航記事/赤城清国海軍大検閲観覧記事/筑紫遭颱記事/吉野自英国至日本航海報告
/金剛遠洋航海軍需品弁給実況/(明治30年代)富士自英国至日本航海報告/高砂後発回航員因幡丸ニテ航海渡
英記事/大和遭颱記事/筑波龍驤及金剛比叡記事/赤城白河ニテ越冬準備報告/千歳回航後発主計官記事/台
湾沿岸難破船報告/水雷艇叢雲英国ヨリ本国ヘ回航記事/駆逐艦不知火回航記事/第五連隊遭難事件視察報告
/富士馬関海峡通過記事/遣英艦隊報告抜粋/大島牛荘越冬記事/(明治40年代)吾妻下之関海峡通航記事/第
十五艇隊越冬記事

(b) 国民意識と海軍(大正期)
第一次世界大戦の前後から誌面は大きく転換する。この時代はまた近代国民国家が世界的に大きな曲り角に直面し
たときでもあった。技術は一層進展し高度化したためか、戦争によって情報が途絶えたためか、『水交社記事』から科
学技術関係の記事が減少する。そして、工業の概況、工業労働者や国民への関心が増加する。しかし、将校の科学と
技術への関心は失われることなく、その思索は人間を目的合理的行動へと捉えようとする傾向を強めていく。曲り角に
立った国民国家はその正当性を次第に科学技術が提示する目的合理性に重ねあわせていくのであるが、海軍将校の
思索はそれを先取していった。
◆軍隊心理の研究 マクトーガル著 広瀬豊中佐訳の訳者序
〈現代兵学研究ノ特色ハ、科学的傾向デアル。然シ其レハ主トシテ自然科学的デアツテ、未ダ精神科学的デアルトハ
言ヒ難イ、換言スレバ兵器ノ研究ガ主デアツテ人間ノ研究ガ充分デナイ。然ルニ戦争ハ結局「人間ノ為ス事」デアル限
リ、人間ヲ充分研究シナイデハ、研究ノ完璧ヲ期セラレナイ。勿論昔カラノ兵家モ、人間ヲ軽ジハシナカツタ。然シ、其
研究ノ方法ガ、学理的デハナカツタ。即チ科学的方法ニヨツテ研究サレタモノデハナイ。其故ニ兵器ノ研究ニ比ベル
ト、人間研究ノ方ガ、遥カニ後レテ居ル様ニ思ハレル。カクテ現代兵器研究ノ新シキ方面ガ人間ノ方面ニアルコトハ確
ナル事デアル。其ノ人間ノ方面トハ、結局人間ノ精神ノ方面デアツテ、一般ノ学問分類ニ従ヘバ、哲学及精神科学ト称
スル方面デアル。〉(228 号、大正11年7月)
◆大正期の水交社記事抜萃
独逸ノ対日本評論/英国ノ軍需工業ノ概況/瑞西ニ於ケル製鉄業ノ概要/蘇格蘭頁岩油業視察記事/支那ノ鉄山ト
我国ノ鉄自給/世界最大ノ米国ホッグ島造船所/独逸戦時経済/米国参戦六箇月間ノ国力動員/米国ノ教育/人
ノ選抜ト実験心理学/英国陸軍ト国民/神経衰弱ニ就テ/米国ニ於ケル労働組合ノ跋扈/米国私立工業ニ於ケル
労働問題解決法ノ例/少年職工ニ就テ/疲労ト生産ニ就テ/賃金ト労働時間ニ就テ/官業民業経営能力比較論/
軍隊心理ノ研究/精神講話ニ就テ/現時思想ノ変遷ニ鑑ミ部下統率上特ニ注意ヲ要スル諸点ニ対スル所見/石油
ニ対スル概念/交通運輸機関トシテノ航空船/海軍懲罰令抄解/仏国戦死軍人絶筆集

(c) 科学技術と海軍(昭和期)
昭和期に入ると、退役将校の日清日露戦争の回顧と海軍をリードしてきた元帥・大将の追悼号が多くなる。一方、編集
の主眼は昭和七八年頃から実用度の高い記事を求め、記事の性格は思索より感性に訴える論調が目立つようにな
る。その論調は一見、目的合理的に世界を捉えていこうとする傾向からの逸脱のように見えるが、十五年戦争の進展
は科学が軍事力を支配するものだという認識を一層強めていく。おそらく、天皇制の精神構造がこの異質なものを係
留する鍵をもっていたであろうが、ここには近代合理主義が決して感性を排除しない構造を有していることが、目に見
える形で示されている。すなわち、科学と技術がイデオロギーとして日本の地に定着していく過程を知る稀有な舞台
が、ここにある。
◆一片の科学心 石井汞少佐
〈宗教的文明は夙くに去つて、今は科学的文明の時代である。個人が神の怒に慄く絵図は既に歴史的な存在である。
然しそれは、爆撃の惨状に戦慄する光景と相距ること遠くはない。科学は既に暴君の域に至つてはいないだろうか。而
して皮肉なことには数学はその科学の動脈血である、数学を濫りに研究することが個人の戦慄を増加するに役立つな
らば、吾々は甚だしいヂイレンマに陥る。〉(303 号、昭和15年12月)
◆昭和期の水交社記事抜萃
昭和5年西海巡幸紀//明治23年陸海軍連合大演習ノ梗概/明治23年神戸港ニ於ケル海軍観兵式/黄海海戦懐
旧座談会講演/黄海海戦歴戦者座談会記事/豊島沖海戦懐旧談/威海衛総攻撃懐旧座談会記事/勝海舟翁に就
て/水交社ノ創設ト其後ノ経過/勅語下賜五十周年記念日所感/軍人ト政治家/米国ト太平洋問題/国防ノ本義/
帝国の国防と海軍/帝国憲法の精神構造/美濃部達吉氏の所謂「統帥権干犯」なる論文を駁す/(特集)山本権兵
衛大将追悼/東郷平八郎元帥追悼/上海事変三周年記念特集号/斉藤実大将追悼/皇紀二千六百年奉讃号/大
角岑生大将追悼/山本五十六元帥追悼



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